こどものままで講演会予定の先生の本をよんでいて、ふと私の担任だった先生の学級通信を思い出して、倉庫からひっぱりだしてきた。
私が小学から高校の間に教わった先生のなかでも特に印象が強くとてもいい先生だったなぁと思う先生のひとり。
先生は、すごく筆まめで100を超える学級通信をかき、子ども達は帰りの時間に学級通信が配られるとすぐに読みああだこうだを口々にいい親に持って帰っていってたくらい、みんなが楽しみにしていた。
最初の学級通信
教室は失敗するところである
教室は友達のよさを発見する所である
というような文章ををだされたとき、子どもながらに妙に感心してこの先生ならついていきたい!とおもったんだよなぁ
先生の思った事や報告だけでなく、学級内の出来事をテーマにしたり子どもたちが毎日提出していた日記を抜粋して通信にのせてくれていたので子どもも楽しめるようになっていたのだ。それに堅苦しい文章じゃないのでスッと読めるのがよかったんだよね〜
雨ばかりでプールがはいれなくて残念がってる子たちの文章をのせてるんだけど
中には学級通信に載せてもらえるように面白いことかく友達もいたし、日記をかくこと自体の活力になっていたような気がするな〜
これは運動会
プログラムに先生の一言もつけくわえてあって、こういった大きい行事のときはみんなの感想を全部
のせてくれてたんだよね〜
ほんと今おもうと、この手間はすごかったんだろうなぁ。
みんなの日記をコピーして切ってはりつけるんだもの〜。先生、休み時間とか昼休みとか休む間なかったんだろうなぁ〜
先生の最後の学級通信は高村光太郎の 『道程』と先生からの贈る言葉
『僕の前にみちはない』という文章をクラス全員で読んだんだよね。
そして卒業をひかえてのわたしの作文が最後になったのだ。
女の先生で、すごく涙もろくて面白くて時に厳しくて、
悪い事をすると全体責任でみんなビンタされたりしたけれど
みんなをたたいた先生の手の方がもっと痛いっていって泣くような先生で、
子どもに常に寄り添っていた先生だったと思う
年に一回の年賀状のやりとりしかできていないけれど、小学最後の先生があの先生で良かった。
いまの時代は、学級通信をだすことも廃止されているところもあったり、親と先生と子どもの関係もなんだかわけのわからないことになってたり、これから小学校にいれる親としては不安なことも多いだろう。
公立小学校、私立小学校いろいろあるけれど、学校だけではなく先生がどういう人であってどうつきあっていくか。
そもそも今の小学校ってどんな感じなの?
そういう不安を少しでも解消できるよう、“小学校”というキーワードに関した講演会を秋にやる予定です。